高校時代のバスケの思い出ですぐに思い浮かぶのが初の地区大会で何回か3Pを決め、それがたまたまその日の高体連の地方のニュースで放送されたこと。
馬鹿なポーズをとる僕が画面に映し出された。
その次の日の新聞にはまたまたこれまた高体連の記事でブロックアウトをしているところがひょっこり写ってた。
こういうのは昔からなんだか運が良いというかなんというのか
で、残念ながらこれが高校現役時代の最初で最後の大会出場だった。
2年になると各地からうまい選手がやってきて頭角を現しメンバーに選抜される
必然的に武器を持たない中途半端な上級生はベンチにも入れず2階席で応援をすることとなる
それでもあきらめるわけにはいかない
練習に精を出す
地区大会の15名の枠に入れないという事は県大会の12名の枠にも入れない
とにかくまずはこの15名に入るために頑張る
しかしなかなか入れない
県大会に行くチームメイトを見送り学校に残るむなしさと言ったらない。
そして最後の地区大会前
運動場での練習のあと、監督のもとに集まりメンバーが読み上げられた。
上にも書いたがそこに自分の名前はなかった。
終わった。
悔しいのを通り越していた。
自転車で帰る道すがら一つ上の先輩に会った。
「明日頑張れよ!」
「あ、うん、選ばれなかった」
その時ようやく悔しさがこみ上げてきた。
力が抜けて帰宅した。
朝練はやめなかった。
かわらず5分以内に25本決めるのを目標に打ち続けた。
メンバーに選ばれなかったからと言って練習に手を抜くのは違うので、頭は相変わらず使ってなかったけど現役最後の日まで頑張ろうと決めていた。
最後の最後の大会。
インターハイ県予選、メンバー発表。
15名から12名に絞られる。
地区大会にさえ選ばれていないメンバーにその権利はない。
が、自分の名前が呼ばれた。
マネージャーとして。
最後の大会だから少しでも多くの3年生を連れて行く、という暗黙のルールみたいなのがあって
それに選ばれたのだった。
複雑ではあったが県大会の会場に皆で行けると考えると嬉しかった。
小学生の頃「練習に真面目に来ていたから」という理由で最後のユニフォームにありつき
中学時代はメンバーが少なすぎてベンチに座ることができ
高校最後の大会にはまたも「練習に真面目に取り組んできたから」マネージャーとして選ばれた
我ながら笑えるバスケ人生である。
40を目前にしている自分にバスケにおける栄光は未だない。
未だないってまだつかみ取ろうとしているのかと思われるかもしれない。
もちろん。
だから僕より断然若い皆さんはなおのこと
あきらめないでください
続けてください
Just believe in yourself.
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